【白山比咩神社にて】
〜ほんとうの気持ちを、そっと伝えるということ〜
先日、白山比咩神社を訪れました。
霊峰白山のふもとに鎮まるこの社には、
菊理媛尊(くくりひめのみこと)が祀られています。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)
日本神話のはじまりを担った夫婦神が、
黄泉の国の境で激しく言い争った。
その喧嘩のきっかけは、
亡くなった伊弉冉尊を追って黄泉の国まで訪ねた伊弉諾尊が、
「決して姿を見ないで」という約束を破ってしまったこと。
変わり果てた自分の姿を見られた伊弉冉尊は、深く恥じ、怒りと悲しみのあまりこう罵ったといいます。
「あなたが地上で1日に1,000人の子を産むなら、私は1日に1,500人を呪い殺してやる」
命を生み出す神と、死を司る神。
その言葉の応酬は、まさに天地を揺るがすような激しさだったでしょう。
けれど、そんなふたりの間に立った菊理姫は、
裁くでもなく、責めるでもなく
その間にすっと立ち、言葉少なに仲をとりもったと伝えられています。
でも、どうやって仲裁したのでしょう?
神話には、彼女の言葉は記されていません。
伊弉諾尊に声をかけたそうです。
しかし、夫婦喧嘩って片方だけに話しをして、仲直りできるものでしょうか?
だからこそ想像がふくらみます。
菊理姫と伊弉冉尊は同一神だったのでは無いでしょうか?
伊弉冉尊が罵る言葉ではなく、約束したのに、破られて悲しかったこと。
醜い姿をみられて、辛かったこと。ほんとうは一緒にいることはもうできないけど、いつまでも応援していること。
そんな伊弉冉尊自身の本当の気持ちを伝えたとしたら?
怒りにまかせてぶつけ合っていたふたりの心の奥に、そっと光を当てたのかもしれません。
「本当は、どう思っているの?」
「その言葉の奥にある、あなたの願いは?」
そんなふうに、
責めるでもなく、裁くでもなく、
ただ静かに、ふたりの“ほんとう”を見つめていたのではないでしょうか。
喧嘩って、
つい強い言葉で相手を傷つけてしまうけれど、
その裏には、
「わかってほしい」
「さみしかった」
「大切に思っている」
そんな気持ちが隠れていることもあります。
だからこそ、
怒りのあとに、
「ほんとはね…」と、
心の奥のやわらかい部分を差し出せたら――
きっと、関係はまた、やさしく結び直される。
“くくる”という名を持つ菊理姫は、
そんな「結び直し」の神さまなのかもしれません。
明日誰かとすれ違ったなら、
自分の中の菊理姫に、そっと耳をすませてみよう。
ほんとうの気持ちを、やさしく結びなおすために。
神話は遠い昔の話じゃないかもしれません。